平成27年7月、ユネスコ世界遺産委員会において記載が決定された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」。日本の8県11市に所在する23の資産が、世界文化遺産の構成資産として登録されています。
大牟田市にはその中の3つの資産「三池炭鉱宮原坑、三池炭鉱専用鉄道跡、三池港」があり、様々な関連施設とともに一般公開し、見学できるように整備されています。
…なんて、難しい言葉が並んで良く分からない…という方へ。
ちょっとわかりやすく「世界遺産」をご紹介します!
日本唯一の閘門式ドック
「三池港」
鉄道で運搬された石炭が海外などに輸出されるためにたどり着く場所、
それが「三池港」でした。
元々有明海は遠浅で干満の差が大きいため、大型船の来航が難しい場所。
石炭は小型船に一度積み込み、それから対岸の島原半島の口之津港や、熊本県の三角西港で大型船に積み替えていました。
干満差が激しい有明海で、いつでも大型船に直接石炭を積み込む方法はないのか?そこで完成したのが三池港!
明治41年に完成した巨大な港は、船渠(ドッグ)の広さ13万平方メートル、内港の広さ約50万平方メートル、航路の長さ1,830メートル、幅137メートルにもなります。
そして三池港の特徴は、日本で唯一の閘門(こうもん)式ドックを持つところにあります。
閘門とは、干潮時でも船渠内の水位を保つため内港との間に設けられた水門のこと。
これにより大型船の停泊が常時可能になり、国内への運搬はもちろん、三池港から直接海外へ輸出ができるようになったのです。
また、港が整備されたことにより「長崎税関三池税関支署」も完成しました。
木造平屋建、入母屋造に切妻造附き、桟瓦葺一部銅板葺で、
3方の出入り口をもつ土間で関税の手続きしていたと言い、その姿を今でも見学することができますよ。
そして現在、三池港は多くの人が訪れる人気スポットになっています。
理由はこの景色!
三池港の「光の航路」は、年に2回のみ一般公開される三池港1番岸壁で見られる貴重な景色。
オレンジ色に染まる夕陽と、航路先端からまっすぐに光の道が現れるこの幻想的な景色を見に毎年カメラを片手に多くの方が訪れます。
11月と1月、日没の方位が247度前後となる約10日間のみ出現。実際に観賞したいという方はぜひ情報を確認の上お越しくださいね。
三池炭鉱最後の坑口
「三川坑」
最後に、世界文化遺産には登録されてはいないものの、
大牟田市の炭鉱の歴史を語る上で欠かせない「三川坑跡」をご紹介。
昭和15年に開坑した三川坑は、三池炭鉱の最主力坑として活躍しました。
昭和24年には昭和天皇が大牟田市へ行幸された際にご入坑された坑口です。
当時最先端技術が集結された坑口で、主に揚炭をしていた第一斜坑と主に人員昇降をしていた第二斜坑があり、その規模の大きさより「大斜坑」とも呼ばれていました。
なんと平成9年の閉山の日まで活躍し、その歴史に幕を下ろしています。
第一斜坑は現在更地になっていますが、第二斜坑や、守衛室、脱衣場、浴場など各種建物が残り、一般公開されています。
レトロ感あふれる、建物やトロッコ、繰込場など、めちゃめちゃカッコいい!
「三川坑」は、多くの石炭を生産し、戦後復興を支えた遺産ですが、三池争議の主要な舞台となったところでもあり、また、戦後最悪の炭鉱事故「三川坑炭じん爆発事故」が起きた場所でもあります。
多くの方が犠牲となったこの悲しい歴史を忘れないよう、第一斜坑の跡には慰霊碑がつくられました。
炭鉱の歴史には、日本の近代化を支えてきたという「光」の部分と「影」の部分が共存します。
大牟田市では炭鉱の歴史を様々な形で伝えています。
世界遺産の背景を作るストーリーを見て、感じる旅はいかがですか。