火花を撒き散らしながら大牟田の街を練り歩く全長10メートルを超える大蛇の迫力やおどろおどろしい表情。人々を惹きつけるその勇壮な大蛇山は、氏子衆たちが力を合わせ、一つ一つ丁寧に時間をかけながら作り上げられています。様々な思いの集結ともいえる大蛇山の製作過程を知ると、まつり当日も一層楽しめそうです。
今回は、2024年の"おおむた「大蛇山」まつり”で一番山を務めた大牟田神社第二区衹園祭の大蛇山の製作過程をご紹介します。

「大蛇山」の起源

「大蛇山」の起源は、三池藩立花氏によって三池新町の衹園宮が勧請された1640年以降のこととされています。江戸時代に三池地方(※1)で始まった大蛇山の原型に倣い、明治時代から大牟田衹園が大蛇山を作り始め、大牟田の各所に広まりました。
(※1…現在の大牟田市三池の本町と新町)

大牟田には衹園の神社が六つあり、それぞれに大蛇山を祭礼行事(衹園祭)として奉納しています。今回訪れたのは、その六つの山を総称した「衹園六山」のひとつ、「大牟田神社第二区衹園祭」が奉納する大蛇山の製作現場です。

「大牟田神社第二区衹園祭」について

「大牟田神社第二区衹園(以下「第二区」)」の衹園祭は大牟田神社を中心に夏に行われている地域の神事祭典で、「悪疫退散」「五穀豊穣」「無病息災」を祈願します。
第二区の衹園祭は戦前から行われていましたが、現在、第二区の衹園祭を受け継ぐ氏子衆である「二区衹園會」は伝統を継ぎ伝えることと、青少年・子供たちの育成を願い昭和61年に発足しました。

第二区の大蛇山は、当初「三池本町衹園宮」の川口氏から製作していただいたものだったそう。二区衹園會3代目の会長に代わった1998年(平成10年)に「氏子たちでつくりましょう」と、自主製作に動き出します。
大蛇山をかたどっている主な材質は竹・稲藁(ワラ)・紙の3つのみです。竹を山から切り出すことから始まり、完成に至るまで、現在は約半年をかけて製作されています。

製作の現場へ

竹と稲藁で組み立てられた大蛇の上あご部分
材料となる稲藁をなう若手衆
製作は山から切り出された孟宗竹約10本と真竹約15本を竹ひごにすることから始まります。水分を含む状態のまま、その特性を活かしながら骨格が組み立てられています
大蛇山の部位の中でも重要な目玉は、熟練者が担当します
稲藁で製作した目玉を本装着前に確認する様子
骨組みに沿いながら紙を貼る様子

製作の工程は<骨組み→紙貼り→色塗り→部位接着>と主に4つに分かれます。

作業としての工程は簡潔ですが、ここに神事祭礼行事としての「お札貼り」や「かじ棒浄め祓い」などの儀式が組み込まれ、衹園祭を迎えます。
一連の工程の節目節目から伺える「神事としての祭り」に対して、氏子衆が真摯な姿勢で挑む姿が印象的でした。

また、大蛇山の骨格となる上アゴ、下アゴと並行して目玉・宝珠・宝剣・双剣・耳・牙が製作されます。これらの部位は、商売繁盛や家内安全の縁起物として祭り後に奉納されます。

上アゴの紙貼りが完成した状態。大蛇のキリっとした表情が感じられます

第二区の大蛇は頭と眉間に2つこぶがあるのが特徴とのこと。また、大蛇には性別があり第二区は雄と言われています。

大蛇の重要な部位を中心にお札を貼ります。祈願への思いを大蛇に託し、魂を込めて貼られています
色塗りが始まりました。伝統の黒・朱・緑の三色が二区の特徴的な配色です
完成した頭は大牟田神社参道に移されます。ここで各部位の製作や仕上げの工程に入ります

「今年の製作のテーマは『伝統のある第二区衹園祭の製作技術を若手に継承する』です。地元に残る若手が少なくなっていますが、その中でどうやって技を受け継いでいけるか、がこれからの課題になりそうですね」と話してくださったのは、副団長の今田さんです。製作に携わるのは若手が中心。正式な設計図がない中で、先輩から引き継がれた技術を継承すべく、試行錯誤の中で挑む姿が見られました。

製作の現場には、端々に先輩からの助言を受ける若手の真剣な眼差しがありました

製作の現場には、若手を見守る経験豊富な先輩氏子衆の姿も見られます。この日、現場に様子を見に来られていた西村さんは、幼い頃から大蛇山を見て育ち、自主制作が始まった当時から製作に携わっているという、製作の技を知り尽くす貴重な伝承者のお一人です。

「たとえばマニュアルに書かれた数値だけ追っていても、人によって決して同じになることはないんです。目の付ける位置、ヒゲの差し方一つとっても、差し方の方向で見え方は変わります。私が子どものころはいまの大蛇に比べるともっとおどろおどろしさがありましたよ。子どもが泣いて怖がるぐらいの恐ろしい大蛇が、まちを見守るというのが、言葉じゃない部分で伝えたかったことなのかもしれないですね」。

大蛇が持つ迫力ある表情には「畏怖の存在によって地域が疫病から守られているという"大蛇の権威"」が宿っているということを、西村さんのお話からあらためて気づかされました。

【7月20日:大蛇完成神事】

7月を過ぎると銀座通り商店街でお囃子や女神輿による舞の練習が始まります。

7月20日、大蛇山が完成したことを祝う「大蛇完成神事」が開催されました。

完成した大蛇山のお披露目を行います
神事の後は、関係者一同で成功を祈願し、前祝いの乾杯です

【7月26日:かじ棒浄め祓い】

衹園祭前夜。山車にかじ棒を取り付ける際に行われる「かじ棒浄め祓い」の神事が執り行われました。

二区衹園會の会長を務める神崎一也さん。長い準備期間を経ていよいよ始まる夏季大祭に備えて、氏子衆一同に向けた決起の言葉をかけられていました
古来より魔除けの色とされる朱色に塗られた山車
お神酒や塩で山車のかじ棒を浄めます

浄め祓いの神事が終わり、ついに大蛇山の部位を取り付ける作業に入ります。

数人がかりで、声をかけながら慎重に一歩ずつゆっくりと動き出しました。
気を緩めないようにバランスを崩さないようにと全神経を集中させる姿は、遠目から見ているだけでも緊張感が伝わります。

尾の先端には宝剣が納められています

全ての部位を連結させ、山車に取り付けます。ちなみに、山車の重さは約2トン。

宝剣、双剣、耳、牙と一つ一つの部位を取り付けては大蛇の表情を確認する会長と青年団長。
時間をかけて位置を調整していると、いつのまにか夜が更けていきました。

【7月27日(土):入魂式】衹園祭

直前には「入魂式」が行われます。御神体である大蛇山に魂が入ることでいよいよ衹園祭が幕開け。ついに大蛇山が動き出します。

二区の大蛇山の特徴の「宝珠」は、入魂式の際に取り付けられます。

大蛇山とは「文化の継承」

第二区衹園會総見・第二区事務局長の池田恭浩さんへ大蛇山への思いについて伺うと、「文化の継承です」とおっしゃいます。単なる祭りではなく、神事であるということ。身を清めて、「守っていただきます」という姿勢で臨むのが祭礼としての大蛇山です。「形式だけではなく、精神の部分でも50年先、100年先に引き継いでいきたい」と力を込められました。

※補足
祭礼神事である衹園祭や御神体である大蛇山については、その歴史、しきたりは神社ごとに違いがあり、「大蛇山の顔や入り」「ホラ貝の吹き方」「樂(がく)・奏樂(そうがく)・囃子(はやし)」「掛け声」「山車の動かし方」など特色があります。
こちらの記事では、「大牟田神社第二区衹園」の取材をもとにまとめております。