小中学生時代を大牟田で過ごしたミステリー作家、西村健さんに案内してもらう大牟田ラーメンツアー。2軒目は「福龍軒」に向かいます。こちらは1軒目の「東洋軒」から歩いて数分という〝ご近所さん〟です。ただ、近いのは場所だけではありません。歴史的にもつながりが深いお店なのです。
2軒目:「福龍軒」
麺の硬さは普通が一番
「ここも子どもの頃から通っているのですか?」。店に向かう道すがら西村さんに尋ねると、「東京に住んでいた大学生の頃に初めて行ったとですよ」と意外な答え。駅近の立地ではありますが、地元の人、特に子どもにとっては生活圏を外れると行くことのない店って結構あるものです。逆をいえば、この福龍軒は、西村さんが東京に出た後になって知り、好きになった一軒でもあるのです。実際に、市外・県外のファンも非常に多い店です。
近づくとすぐに店は分かるでしょう。目立つ黄色のビル。緑の暖簾とのコントラストも良い感じです。昼時をずいぶんと過ぎた時間にうかがったのですが、まだまだにぎわっていました。西村さんは、さっそくカウンター席に座って注文します。「ラーメンばくださ~い」。
博多などでは注文時に「カタ」「バリカタ」などとの言葉が飛び交いますが、ここ大牟田ではそんな要望を聞くことは少ない気がします(ゼロではありません)。西村さんも特に麺の指定はしませんでした。私(前回に引き続き、「ラーメン記者」こと小川祥平が同行しています)の個人的な考えですが、博多などに比べると太めである大牟田ラーメンの麺は、ある程度の時間茹でる必要があり、「カタ」との相性が良くないからだと考えています。
昔ながらの平ざるを手に
西村さんの視線の先には、2代目の池田健さんの姿がありました。私も何度かこの店を訪れたことがありますが、池田さんはいつも寡黙で、なかなか声を掛けづらい印象でした。この日も黙々と、そして無駄のない動きでラーメンをつくっていきます。
麺が茹であがって池田さんが手にしたのは、網の部分が真っ平らな「平ざる」です。このざるを使いこなしているだけで「いい店!」と呼びたくなります。現在、多くの店は、皿のようにくぼみがあるざる、もしくは「テボ」と呼ばれる深いざるを使っています。初心者でも、麺をこぼさずに湯切りをすることができるから重宝されているようです。一方の平ざるは扱いが難しいのです。では、なぜ使われるのでしょう? 水切れがよく、スープの薄まりも防げるからです。
福龍軒では創業時からずっと平ざるだそうです。今やこのざるをつくる金物屋さんもほとんどないため、自作品だといいます。平ざるで器用に麺をすくった池田さんは、釜の縁にざるを打ち付けて湯切りをします。すると、小気味いい音が店内に響くんです。「カン、カンッ、カン、カンッ」
「あっさりだけど、深いっちゃんね」
その音を聞いたらラーメンの到着です。西村さんはまずはスープからすすりました。「これこれ! あっさりだけど、すごく深いっちゃんね」と第一声。ここの一杯は、最初のパンチは控えめかもしれません。ただ、決して弱いわけではありません。スープを口に含むと、豚骨だしのうまみ、甘みがじんわりと押し寄せてくるのです。合わさるのは中太麺。若干黄色みを帯びていて、ちゃんと茹でられてもコシは充分です。やはり「カタ」ではないほうがいいと思います。西村さんも同意見のようで、「麺は普通がよか。普通が店主の一番のおすすめやろ」と言いながら、ズルッとすすります。
西村さんは東大卒業後に労働省(現在の厚生労働省)に入庁しました。しかし4年でフリーライターに転身し、平成8年に作家デビューしています。この店に足繁く訪れるようになったのは、作家になってからだといいます。毎回のように一緒に行ったのは、地元紙「日刊大牟田」(平成30年廃刊)社主の原田勇さん(故人)です。「かわいがってもらってまして、ようこの店で飲んだです。創業者の池田さんと出会ったのもその頃ですよ」
ここで池田さんの父親であり、創業者の高(たかし)さんの登場です。御年86。今でもチャーシューの仕込みなど裏方作業を手伝っています。西村さんが来ているということで挨拶に来てくれたのです。
東洋軒で学び、昭和38年創業
昔話も教えてもらいました。高さんは長崎の生まれで、戦後は福岡・朝倉の梨園で働くなどラーメンとは関係のない仕事をしていたそうです。その後、大牟田で燃料屋を経営していたいとこが東洋軒に練炭を卸していた縁で、東洋軒で住み込みで働き始めたといいます。「当時の東洋軒は店舗と屋台がありましてね。夜中3時の終電が到着するまで営業してましたよ」。10年ほど働いた後に独立。現在の場所の横で「福龍軒」を開業しました。昭和38年9月のことです。
創業以来、高さんがスープづくりと出前を担い、妻のツナ子さん(今も厨房にいます)が麺上げを担当していたそうです。店の壁には福龍軒の歴史を写した写真が2枚掲げられていました。左は創業当時と思われるもの。右は建て替えた後の2代目の建物。現在は3代目のビルといいます。2枚の写真だけで、どれだけ売れてきたのかが推察できます。「すごい」の一言です。
細部まできっちり
売れる理由はもちろん味の良さにあると思います。でも今回気付いたこともありました。それは店内がすごくきれいに保たれていることです。
2代目の健さんは「母がきれい好きだから」と言います。営業終了後はスタッフみんなで掃除をしていました。換気扇のフードからシンクのすみずみまで磨き上げます。テーブルに置かれている胡椒などの調味料もきちんと手入れします。
店の良さは細部に宿る。その言葉を実践している店であり、そのことが多くの人を惹きつけている理由の一つだと実感しました。
高さんからつくり方の一端も聞きました。使うのは豚骨のみ。仕込みの際は、ガスより火力の強い灯油バーナーで炊き上げます。最初は圧力釜で炊いてうま味を抽出した後、一晩寝かせて二番だしを取るといいます。東洋軒で学んだ味ではありますが、今となってはつくり方も全く違います。つくり手によって味は変化するものであり、積み重ねた年月によっても変わっていくものなのです。
東洋軒と同様にここの一杯も平らげた西村さん。丼を置いて言いました。「色んな味が楽しめるのが大牟田ラーメンの良さ。どっちがではなく、どっちも好きなんですよ」